堅い話
2005年4月27日↓の日記を書いていてもう一つ
家庭科の授業で先生が
「日本は穀物輸入量が世界一で、しかも
その大半を家畜に使っている。
南半球では食べる物がなくて餓死する人がいるというのに
馬鹿らしいったらありゃしない!」
って感じで言ったのを思い出した。
そこから人間は死んでいるが家畜は食べられるためとはいえ
生きている、と思ったのをきっかけに
生物は何のために生まれているのだろうと思った。
まあこの方向ではまたわけわからない事になると思って
とりあえず人間の存在について考えてみた。
環境汚染という言葉がまず浮かんできた。
そこからいきなり人間から離れて他の生物のことを考えて、
本能的に親が子を生み、種によっては子孫を残すと同時に死んだりし、
また植物は生き残るために特殊な形状をしていたりする。
剣士はその形を美しいと思う。
生きる力は素晴らしいと感じる。
しかし何のために生きるのか、
子孫を残すと何があるのか、
結局つながるものはない。
もう一度人間に戻ってみることにした。
人間も生まれるのは生まれる側の意思ではなく
生む側の意思から。
生む理由はやはり子供がいる、家族ができるということへの
喜びか、あるいは昔のように働き手を増やすためかもしれない。
つまり嫌な言い方をすれば自分達のために子供を産む。
自然界でそのような感情がないような生き物、
生物が初めて生まれ、これまで進化してきたのは
いくつもの命の鎖があったから。
でも何故そういう形ができたのだろうか。
そこでまた生きているって何か、ということに戻った。
人間に関しては生きる意味はそれぞれでいいんだと思う。
本能ってなんなんだろうなー
人間に焦点を置いてもう少し考えて、
人間の考えと地球規模で考えた生物との関係に。
その中で宗教が出てきた。
牛を神聖と思う人がいれば、牛乳や牛肉の元、と
思っている人もいる。
そして自民族優先主義とかそんな感じの心理が働いて
自分達が正しいと主張し合う人々が争う。
宗教とは人を救うために生まれたはず。
人を救う宗教ならばいいものだと思う。
しかし宗教が人を壊すものになっているのならば
それは存在する必要がない。生きるためには。
日本と北朝鮮の関係、
北朝鮮のメディアが半日感情や北朝鮮が優位にいるような
報道をしたかと思うと日本のメディアは
その映像を流して北朝鮮はこんな国だ、と
何かと悪いイメージを持たせるような報道をする。
まあおそらく北朝鮮よりかは日本のマスコミの方が信用性のある
内容を言っているとは思うのだけれど、
北朝鮮が間違っていて、日本のメディアは必ずあっている、
ということはまずない。
どちらも何かしら言い方を変えたりして自分達を
良く思わせようとしている。
そうしたことからなんとか主義とかいうのができたりして
互いが争うようになるんだろう。
はっきり言ってくだらない。
色々思索を廻らせて、これも結論はないとわかっていても
考えた内容をここに書いて整理しているうちにまた
新しい考えが浮かぶ。
人間は単純だけど難しいといつも思う。
しかし最近の若者、(若者より若い剣士が言うのも変だけれど)
周りのことを思いやることが出来ない人が目立つ。
友達に親切にする、というのはいいことだが
その行為が同時に他人の迷惑になっている、
そんなことが多い。そういう人は固まって
自分達の世界を作る。だから社会から離れていく。
友達に親切にしているから自分は立派だと思い込む。
一言で言えば世間知らず。
そんなのが増えたのは親の変化の影響が大きいんだと思う。
剣士の行っている高校もハッキリ言ってそんな人が多くて
都合の悪い時だけ助けを求めたりする、しかもそれに応じないと
「アイツむかつく〜」っていかにもあちらが悪いかのように
自分を正当化しようとする。
こんな光景を見ていると
(人間ってくだらねぇ)
と思ってしまう。
だから剣士はボランティアに一時逃げた。
ボランティアをするような人は心にゆとりのある人ばかりで
その中にいる間は幸せだから。
でも↓に書いた今回の事故ではないが、
そんな衝撃があった時にふと思いなおして、
(ここで逃げていてはこんなことが繰り返されてしまう)
と一度辞めた生徒会に戻ったりしました。
やっぱり大事なのは逃げずに最後まで足掻くこと、
生きるとはそういうことだと剣士は自分の中で定義しました。
家庭科の授業で先生が
「日本は穀物輸入量が世界一で、しかも
その大半を家畜に使っている。
南半球では食べる物がなくて餓死する人がいるというのに
馬鹿らしいったらありゃしない!」
って感じで言ったのを思い出した。
そこから人間は死んでいるが家畜は食べられるためとはいえ
生きている、と思ったのをきっかけに
生物は何のために生まれているのだろうと思った。
まあこの方向ではまたわけわからない事になると思って
とりあえず人間の存在について考えてみた。
環境汚染という言葉がまず浮かんできた。
そこからいきなり人間から離れて他の生物のことを考えて、
本能的に親が子を生み、種によっては子孫を残すと同時に死んだりし、
また植物は生き残るために特殊な形状をしていたりする。
剣士はその形を美しいと思う。
生きる力は素晴らしいと感じる。
しかし何のために生きるのか、
子孫を残すと何があるのか、
結局つながるものはない。
もう一度人間に戻ってみることにした。
人間も生まれるのは生まれる側の意思ではなく
生む側の意思から。
生む理由はやはり子供がいる、家族ができるということへの
喜びか、あるいは昔のように働き手を増やすためかもしれない。
つまり嫌な言い方をすれば自分達のために子供を産む。
自然界でそのような感情がないような生き物、
生物が初めて生まれ、これまで進化してきたのは
いくつもの命の鎖があったから。
でも何故そういう形ができたのだろうか。
そこでまた生きているって何か、ということに戻った。
人間に関しては生きる意味はそれぞれでいいんだと思う。
本能ってなんなんだろうなー
人間に焦点を置いてもう少し考えて、
人間の考えと地球規模で考えた生物との関係に。
その中で宗教が出てきた。
牛を神聖と思う人がいれば、牛乳や牛肉の元、と
思っている人もいる。
そして自民族優先主義とかそんな感じの心理が働いて
自分達が正しいと主張し合う人々が争う。
宗教とは人を救うために生まれたはず。
人を救う宗教ならばいいものだと思う。
しかし宗教が人を壊すものになっているのならば
それは存在する必要がない。生きるためには。
日本と北朝鮮の関係、
北朝鮮のメディアが半日感情や北朝鮮が優位にいるような
報道をしたかと思うと日本のメディアは
その映像を流して北朝鮮はこんな国だ、と
何かと悪いイメージを持たせるような報道をする。
まあおそらく北朝鮮よりかは日本のマスコミの方が信用性のある
内容を言っているとは思うのだけれど、
北朝鮮が間違っていて、日本のメディアは必ずあっている、
ということはまずない。
どちらも何かしら言い方を変えたりして自分達を
良く思わせようとしている。
そうしたことからなんとか主義とかいうのができたりして
互いが争うようになるんだろう。
はっきり言ってくだらない。
色々思索を廻らせて、これも結論はないとわかっていても
考えた内容をここに書いて整理しているうちにまた
新しい考えが浮かぶ。
人間は単純だけど難しいといつも思う。
しかし最近の若者、(若者より若い剣士が言うのも変だけれど)
周りのことを思いやることが出来ない人が目立つ。
友達に親切にする、というのはいいことだが
その行為が同時に他人の迷惑になっている、
そんなことが多い。そういう人は固まって
自分達の世界を作る。だから社会から離れていく。
友達に親切にしているから自分は立派だと思い込む。
一言で言えば世間知らず。
そんなのが増えたのは親の変化の影響が大きいんだと思う。
剣士の行っている高校もハッキリ言ってそんな人が多くて
都合の悪い時だけ助けを求めたりする、しかもそれに応じないと
「アイツむかつく〜」っていかにもあちらが悪いかのように
自分を正当化しようとする。
こんな光景を見ていると
(人間ってくだらねぇ)
と思ってしまう。
だから剣士はボランティアに一時逃げた。
ボランティアをするような人は心にゆとりのある人ばかりで
その中にいる間は幸せだから。
でも↓に書いた今回の事故ではないが、
そんな衝撃があった時にふと思いなおして、
(ここで逃げていてはこんなことが繰り返されてしまう)
と一度辞めた生徒会に戻ったりしました。
やっぱり大事なのは逃げずに最後まで足掻くこと、
生きるとはそういうことだと剣士は自分の中で定義しました。
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